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“individual”のススメ

過労死は、英語でも“karoshi”であることを新聞記事で知った。
記事には、日本で過労死が多いのは、“individual”という本来の意味での「個人」という概念が日本には浸透していないからではないかとその原因について書かれていた。

本来の意味での個人って?
その実感をじぶんの中に探してみたがピンとこなかった。
おそらく、ココ↑なんだろう。

過労死だけではなく、ひきこもり、自殺、孤独死などは、今や日本で暮らす人たちの共通の問題意識/関心事になっている。
そのため国でも企業でも福祉の世界でも必死に、包摂的な社会とか、社会参加とか、社会連帯とか、人と人のつながりといった言葉を発している。
どれも共感できるスバラシイ概念デアル。

では、それでも自殺者は減らないのはなんでだろ?ひきこもる人が増えるのはなんでだろ?

いろんな言葉が生まれても、政策ができても、「世間があってはじめて自己が存在する」そういう価値観・概念はケッキョク何も変わってないからなんじゃーあるまいか。


それよりも、きっと、その本来の意味での個人とやらをゲットすることこそが、それが今はいっちばん大事なのではないか。

でも、その個人って、なんぞや、、、、?
それが悲しいことに私にはピンと来ないのだ。

そうしてしばらくの間、悶々と抱えていたこの「個人とは何ぞや」問題。
それが昨日友人に相談してあっさり解決した。
(こんなときに、ASKに相談できる友人が居ることを心底嬉しく思う。涙)


「個人でありたい?それはとっても勇気のいることかもね。日本の中では。仲間外れにされたり、権利意識が強いと言われたり、空気が読めないという目でみられたり、そういうことの方が多いかも、、」


「でもそれってすごくシンプルなことなんだよね。一人ひとりの命の重みを実感すること。そして生きるって何かを考えながら、一人ひとりの幸せを大事にしていくことじゃないかな。そうすれば、誰かのために一人の命が犠牲になっていいなんてことには絶対ならないでしょ??」

そうか、前から彼女の暮らし方・働き方を聞いていてなんだかとてつもなく反骨精神にあふれた強い方なんだと思っていたけれど、日本では彼女のシンプルな生き方が反骨精神に映ってしまうってことだったのか。気持ちの持ちようというか中心にあるものが違うんだってことがわかった。そしてそれはすごーーくシンプル!!!


まずは、少しでも実感に変えたいと思う今日この頃、、。
(だらだらと22時まで残業しない!)
by flatrip | 2011-02-14 11:34