中野ーアイヌ

 行進のように更新中。どうしちゃったのでしょう。

 もうだいぶん前の話になりますが、アイヌ祭りに行ってきました。旭川にはただ1つ、アイヌ資料館があります。川村カネトアイヌ記念館といって、近文というところ(正しくは北門町)にあります。アイヌ語では「ちかっぷに」と発音するこの地域は、開拓が始まったのちアイヌ人給与地とされていた場所です。しかし給与地とされたあと、明治政府に土地の返上を求められたり、何代にも渡り闘争が続いてきた場所でもあります。(今後詳しく取り上げる予定だが、『旭川・アイヌ民族の近代史』<金倉義彗著/高文研/2006>に詳しい。)川村カネトは近文アイヌの村長の名前です。

 川村カネトのことは、知り合いの95歳のおばあちゃんがよく話してくれた。「旭川のアイヌは変わっててね、村長が2人居たのよ。川村カネトと川上コヌサ。その2人が戦って川村が戦ったわけ。結局は川村が勝ったけど、どっちが本当の村長かは今もわからん。どっちもすばらしい人だったよ。川村はうちの近くに住んでてね、家にいくと、熊の毛皮の上に座っとった。ああ、村長だなあと思ったね。」

 一年に一回開かれるというアイヌ祭り、どんなお祭りだろうと思ったら、家族パーティーの延長のような、アットホームなお祭りだった。みんなお知り合いのようで少々肩身が狭かったけれど、居心地はいい。AINU DUB BANDと活動しているという女の子4人組のMarewrewのライブがあったり、ヨガ教室があったり、すごく今っぽい!だけど、私のようにふらりと来ている新参者は見当たらず、「北海道ーアイヌー若者」が頭の中でうまく繋がらなくなってしまった。

 アイヌの存在は東京に住んでいる私にとってもごく自然なことだった。駅前では年に一度チャランケ祭りというアイヌー沖縄の踊りを踊るお祭りがあったし、駅から少し離れた新井薬師にはアイヌ料理屋さんがあった。神秘的なわけでもなく、悲壮感を感じさせるわけでもなく、ただ一つの文化として身近にあった。チャランケには毎年行っているわけではないが、今年はたまたま遭遇した。国家試験の直前だったか、何か思い詰めているときだった。
 風景がよみがえる。酔っぱらいのおじいさんが女の子を追い掛けるという設定の踊りをしていて、大笑いしたのだった。一番前で見ていた金髪のお兄さんが、裸足で踊っているのを心配そうに見ていて、踊りの合間に石をよけていて感動した。小さな子供が何度も混ざってしまって、でもうまく踊りと妙に合っていた。みんながあたたかく笑っていた。最後に、みんなで輪になって踊って、なんだか胸がいっぱいになり涙をこらえながら帰ってきたのを覚えている。その様子をすぐに身近な人に話したがあまり反応がなくてがっかりしたこともついでに思い出した。

 今回もそうして輪になって踊って来た。少し恥ずかしがりながら。旭川で、北海道でアイヌが思った以上に身近ではないの(ほんとうに驚くほど街とアイヌ文化との距離は遠い)は、もちろん複雑な歴史があるからなんだろう。けれどそれ以上に同じ世代の人はただ知らないだけな気がする。
[PR]