カテゴリ:▼ブログという日常( 122 )

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3月12日 東川で映画『祝の島』の上映会があるとのこと☆

日時:3月12日(土曜日)14:00~
場所:東川町農村環境改善センター
    東川町東町1丁目15番3号
入場料:1000円
主催・お問合せ 0166-82-4416 (東川 叢舎 澤田さん)


ちょうど東京からホー娘。の(?)フユPが遊びにくる。
そんな日にこんな催しがあるっていうのがとっても良い予感にあふれていていいな!

ちなみにフユPが北海道にくるのは↓のシンポジウムのため。こちらも興味深い。

3/11(金)@札幌市
「自然エネルギーと社会的合意形成のためのフォーラム〜風力発電の開発と鳥類保全を巡って〜」
http://www.isep.or.jp/images/event/sympo20110311.pdf
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きょうも浮いてます。

しばーらくの間、この旭川の街で暮らすことに決めた。
せわしなく働きながら。

もしかしたらもう二度と東京に住むことはないのかも。
そんなとき恋しく思い浮かぶのはなぜか表参道と青山通りの交差点。
なぜだろうゴミ拾いのバイト以外では縁のない場所。
もしかしてテレビドラマの影響?それとも母や祖母の記憶?

せっかく北海道に住んでいるけれど、
休みが無いので遠出はできないというジレンマ。

それでもまあ家に帰る途中に通る橋から見下ろす石狩川や
ベランダから見上げるもくもくとした夜の雲に出会う度はっとする。
これはずっと変わらなそうだ。

いやあでもやっぱりいろいろな所に行きたい!

今年行くぞーアイヌモシリ一万年祭。
アイヌモシリ一万年祭

そして飛生アートコミュニティーにも行ってみたい。
飛生アートコミュニティー
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お盆過ぎれば秋風が吹く。
今は、ほんの束の間の、貴重な貴重な 夏。

山に登り、カヌーをし、サーフィンをし、ジンギスカンを焼き、、、みんな大忙しである。
野外パーティーも今しかできないことの一つ。

田舎なので誰かが準備してくれてただのぞきに行くパーティーなど存在しない。
誰やかれやが大集合しててんやわんやして作る。
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マイホームを建てるのが夢、という時代ではないことは誰もが感じていることだろう。
家も車も仕事もシェアしてなんぼ。なかなか面白い世の中になってきた。
大都会と地方都市ということで考えても、6畳一間に5.6万という家賃を払ってまで都心にすもうという人は減っているのではないか。

東京が中心だと感じているのは、結局はもう東京に住んでいる人くらいなのかも。

しかしこういった状況下では、移動はしにくくなるだろう。
そう簡単に飛行機や新幹線には乗り込めまい。

そうなると本当に自分の住む街が面白くなければやってられない。
あらゆる地方で独自の若者文化が根を張り始めるかもしれない。

もうすでに旭川はこの一年でずいぶん面白くなっている。
これは去年ようやく友人ができた私の意見ではなく。
そんな実感を持っている人の声を聞くことが多かった。
買い物公園商店街も盛り返しを見せている。
ホッコルという商店街が出しているフリーペーパーもなかなかイケてる。

それぞれの地方が、スピード重視の都会では交通手段の妨げとされる山や川や海や天気から
与えられる多大なイマジネーションに頼ってみればそれだけで
同じような音も映像も出版物も生まれないはずだ。

なんて考えること自体が都市生活者の思考回路なのかもしれないが。

旭川で根を張るということもあるのかなあと思う私の生活と意見でした。

とりあえず近々東川の一軒家の下見に行ってこよーと
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エレベーターに面白い張り紙がしてあった。

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(まさか、小便でしょうか。)

エレベーターの異臭に対する警告文なわけですが
迷惑だなと思いつつ、ちょっとわくわくしているように思えてならない。

してはいけないところでおしっこをするのって気持ちよいよねぇ。

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ICCでやっている
これ面白いのかなー。中心が移動する都市、体験してみたい。

そういえば最近「都市論」を見かけなくなった気がする。
都市という概念が自分の意識からもずいぶん遠のいているのは
旭川に居るからだけではない気がする。

ICC 可能世界空間論
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アフリカの友だちと札幌に出かけた今週末。
友人が新しく暮らす予定のアパートに泊めてもらったのだが
肝心の住所が私も当の友人もわからなく、
出かけたは良いけれどアパートに戻れなくなってしまった。
旭川に越してきたばかりのころは家に帰るのによく迷ったものだが
住所がわからないとなると致命的。
近所に駅とローソンがあったような気がしたが、
札幌の地図を見渡せばほとんどが該当してしまう。
何度も電話してゲットした住所は記憶に深く刻まれた。
もうそのアパートに帰ることは無いだろうが。

北海道立文学館で開催されていた『サハリンを読むー遥か『樺太』の記憶』展へ。
国境/辺境/故郷/うち続く痛み/現在という5つの視点が
サハリンにまつわる文学を引用しながら展開されていた。
戦争によって何度も引き直された神経質な線=国境。
しかしそもそもそこにはウイルタやニヴヒ、そしてアイヌといった先住民族の暮しがあった。
戦争に負け、引揚げ者としての運命が始まった日本人。
帰る術を無くした朝鮮の人たち。
そして今。

ちょうど最終日だったためか、来館者は多かった。
懐かしいと見入る方が多かったのは印象的。
サハリン。北海道にいるうちに必ずいきたいです。
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バンド名が「KIKANLA」から「KUERGUI」となりました◎ウォロフ語でホームという意味だそう。
明日は2回目のライブがあります。ドゥンドゥンという楽器が加わり、さらにみんなで唄も歌うことになり、どきどきであります。

昨日は前回のライブの打ち上げがアリ、ライブハウスの中で鍋パーティー。たくさん食べ歌い踊りいっぱい笑った夜でした。前回出演してくれたjahman shingoさんたちも駆けつけてくれて歌ってくれました。彼らの唄が私は大好きです。川歩きの唄や祈りの唄、アイヌモシリ、エゾオオカミの唄、、。そしてまた明日も御一緒できるようなので嬉しいなぁ。

★★
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2010年、明けましておめでとうございます。

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今ほとんど使っていないドメインのホットメールを整理していたら
メールの始まりは2005年だった。
この5年間で何か変化しただろうか。
flatrip的に振り返れば、公共空間の問いをホー娘。として実践に移す事ができた。
一人で考えていたことがみんなの問になり、実感として深めることができた。
新しい繋がりも出来、高円寺で夜な夜な大人数で議論したり酔いどれたりした。
無駄だったどは思わない。し、これからもきっと面白い事が出来ると思っている。
けれどその中で失ったもの、見えなくなっていたものも大きいなあと感じる。
スタイルや雰囲気に偏っていたのかもしれない。

旭川に来てから、忘れていたり見えなくなっていた出来事にはっとすることが多かった。
それはほんとうに些細な事で、でも譲れない部分だったんだなあと。
恥ずかしがりやであることやふとよぎるかなしみやさびしさ。
それを道ゆく人に見る瞬間、とか。


「大人になってもどぎまぎしたっていいんだなぎこちない挨拶 醜く赤くなる失語症 なめらかでないしぐさ子供の悪態にさえ傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような感受性それらを鍛える必要は少しもなかったのだな」(茨木のり子「汲む」)


2010年は 弱虫ベイベ、でいこう!
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祈りの仕草を聴きながら眠りにつく。そんな日々もあと一日だとおもうと涙が出る。
ひょんなことから始まったたった2週間の共同生活だけれども
それは私の人生の中でも最もたのしくて優しくてすばらしい時間でした。
こんな偶然を与えてくれてありがとう、そしてこんな偶然を受け入れた私と仲間たちに乾杯!
永遠の別れでも何でもないしたぶん喧嘩もするだろうしまだまだいろんなミラクルが待ち受けているんだろうけど、ほんとうにみんなのことを思うだけで胸がいっぱいです。

そしてそんな話をしたくなる人が、どこかで今日も元気にくらしていますように。
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