カテゴリ:▼フクシノシゴト( 5 )

「ねえ、雪がないわよ!瓦屋根でしょ、あれ。あら、煙突がないじゃない!ほんと!どの家もないわねぇ。石油タンクもないねぇー。ないわ。ないわね。ほんと。じゃあ、何で焚いてるのかしら。ガスじゃないかしら。ほら、冷暖房のがあるんじゃない?わっちょっと、見て!今の果物なに?見たことないわー。それより、遠いわね。でも、工場地帯からは脱出したわ。きっともうすぐよ。信濃川ですって!日本一長いんだっけ?石狩川より長いでしょ。あーでも駅は大きいわね。旭川より大きいわ。でも釧路に似てるでしょ。海沿いだからかしら。今日がたまたま曇りなんじゃない?釧路は冬は晴れてるのよ。広いわー。札幌ほどではないわね。札幌は100万都市だものね。ほら、着いたしょ。着いた。着いたわよー!お腹空いたー。中に食べ物なんてないよね。おにぎりくらい有るかも。降りよう。前から降りるわね。」

////////////////////

仕事を探していたときの条件は2つだった。勉強会があることと、ほんのすこし今の資本の流れを疑っているところがよいなと。まあ実際はリクナビで「ホームレス」と検索して唯一ひっかかった2つのうちの一つにきめただけなのだけど、気付けばその2点だけはかなっていた。というわけでこの日は新潟で勉強会があったのだ。日本中から800人以上が集まった。東京からも、懐かしい顔がたくさん。おもうぞんぶん話狂い愛し狂った夜でした。

さて、なぜ職場の話をしたかというと、職場でも空前の「公共性」ブームだからです。ようやく誰もが、公共が官(official)のものではなく、共通の(コモン)なものであることに気付き、市民みんなで公共施設の運営や地域づくりをおこなっているという事例をたくさん聞く事ができました。しかし、開かれた場所という意味での公共性について語っている人は居なくて、やはり私としてはそこが一番気になるのです。厚生労働省のひとの殺人事件なんかもあって、都心はますます治安に向かっていくでしょう。その中でいかに開かれた場所を守るか。そこを共有していくにはどうしたら良いのでしょうー。
[PR]
 何かを始める動機としていちばんエネルギーがあり持続力があるものは「違和感」だ。しびれるような違和感だったり、腹が煮えくり返りそうな違和感だったり。兎にも角にもそれが何だかわからないものだから、動きだす/考えだすしかなくなる。ほぼ「怒り」に近いその違和感を持て余し思考するとき、私の眉間にはきっとずいぶんな皺ができていることだろう。でも、もしかしたらそれは至福の時間なのかもしれない、、。

 さいきん覚えた違和感は職場でのことだった。旭川にきて初めて、高齢者の通ってくる「デイサービス」で研修を行なった日、帰り際に誓約書を手渡された。それは、ここで見聞きしたことは一切口外しませんという「個人情報の保護」に関するものだった。一瞬、怯んだ。「え?ここで見聞きしたことを誰にも話せないなんて、まったくここで研修をする意味がねえじゃねえか。」ここで出会った人たち名前と顔、それから声、仕草、その人たちの会話を、他の人に伝えずにいられるだろうか。その人たちの存在を私は必ず伝えたくなってしまうにち違いない。むしろ伝えなくていいのか? だんだんと腹がたってくる。しかし、どう考えても「正しいこと」なので、思い直しすぐにサインをした。

 それから服装についての注意を受けた。身体のラインがでないもの。襟が小さく、胸がみえてしまわないもの。透けないもの。しゃがんだ時にパンツが見えないようなズボンを着てきて欲しいということだった。これも実習や何かで施設に入る度に必ず言われてきた「正しいこと」。しかし、言われるたびに、ほんの小さく傷つくのを感じてきた。何か、自分の身体が悪いもののように思えてくるのだ。利用者さんに対して「失礼」になり得る自分の身体。越してきて心細かったせいか、今回は堪えた。もしそこに「あなたの身を守るためでもあるのよ」というニュアンスがあれば違うのかな。いや、違う、何かが、違う。そう、まさにこれ、IWAKAN....

 今月から『ブリコラージュ』という雑誌を購読し始めた。きっかけは今年の春に岩波書店から出た『ケアという思想』で、ブリコラージュ編集長であり理学療法士の三好春樹さんが「ケアはブリコラージュ」というエッセイを書いていて、それがとても良かったから。
 ちょうどそれを読んだときは、初めて介護の現場に関わっていたときで、何もかもが刺激的だった。森川さんというヘルパーさんに出会ったせいで、私の介護に対する苦手意識はぐらぐらと揺らぎ、なんて工夫に満ちたおもしろい仕事なんだろうと興奮していた。
 「ケアはブリコラージュ」もまさに25歳で初めて介護現場に出会い、目紛しい日々の中で思考していく話だった。そんなときにレヴィストロースを読み始め、そこで「ブリコラージュ」(手作り、器用仕事などと訳される)という言葉を見つける。レヴィストロースは、「ブリコラージュは現代社会では工業の中にしか残っていない」と言っていたが、まさに介護の仕事こそがブリコラージュじゃんと思ったのが、その後の三好さんの核となる。

 その『ブリコラージュ』も、20周年らしい。読者になったばかりの私には突然だったが、5000人の定期購読者が居るというからすごい。そう、私はそこでちょうど、違和感の1つであった「個人情報保護」に関する三好さんのエッセイを見つけたのだ。
「プライバシーという差別」という名のついたエッセイ。引用しよう。

 「老化や障害によって要介護状態になったことや、施設で生活しているということは、隠さねばない恥ずかしいことなのだろうか。もちろんそう思っている本人や家族もいるだろう。でも、それは老人ケアに関わるものに撮っては「そんなことありませんよ」と説得すべきことではないだろうか。
 さあ、要介護老人たちに名乗ってもらおう。もちろん私たちによる「ケース報告」ではなく自らの自己表現として。私たちはその媒介になるべきなのだ」

 三好さんは、プライバシーの権利が利用者を「公的なところで名乗る資格を奪われた存在」にしてしまっているのではないかと指摘する。私の違和感もまさにそこに通じるものであった。

 衣服に関する違和感も、もしかしたら、何か違う見方があるのかもしれない。怠け者には少々面倒だが、アンテナを張り巡らせ思考していきたい。
[PR]
束の間の東京。朦朧としたまま電車と飛行機を乗り継ぎ職場に向かう。気をぬけば流れ出てくる昨夜の出来事を飲み込みながら、車いすを押して向かうは科学館。「歩きましょうか?」申し訳なさそうに振り返っては尋ねるおばあさんと一緒に。「良かったらあなたが乗ってください、私押しますからぁ」

背中がまあるくて小さなおばさんは、いわゆる「認知症」で、毎日じぶんの年齢が変わる。小学生の日もあれば、20歳のときもある。小さな子供2人のお母さんの日もある。そういうときは「うちにチビがいるから、帰らなきゃ」と言う。ひょうきんで、笑うと顔中の皺が鼻に集まる。私はその皺にいつも吸い寄せられてしまう。

光と影の展覧会。たよりない暗闇を進んでいく。「歩きましょうか?」と振り返る回数が増えていく。展覧会場は段差がないので、それだけで私のほうは気が楽だった。ところどころ万華鏡が置いてある。大きいやつ。

突然私たちを光の粒が包み込む。あらゆる色の光。なんの光なのか。少し前に流行ったLEDなのかわからないけれど、光は私たちを追って変化する。おばあさんは目を覆った。それから祈る。長いこと、祈っていた。

帰りの車ではもうみんな光のことは忘れていた。おばあさんは行きと同じように、天気の話をしていた。ただ、それでも胸はいっぱいだったのだと思う。部屋に戻った瞬間、わあっと泣き崩れ、それからわんわん泣いた。「帰りたい、帰りたいよう」

感情っておそらくあまり厳密にはできていない。私は、具合の悪いどきどきを、恋のそれと間違えてしまったことがある。種類よりも、量なんだろう。
[PR]
 5月のはじめまで、学童クラブで働くことになりました。団地に囲まれたプレハブ小屋。授業が終わると、70人の子供達が列になってやってきます。歌ったり、引っかきあったり、泣きべそをかいたり、思い思いに声をあげています。とくに一年生は去年まで保育園生だったものですから、何もかもがはじめてで、泣き出してしまう子が多いのです。私はこういう仕事が向いているとは思いません。てきぱきしていないのでどちらかというとだめな方です。でもこうしてみんなと過せることが私は心底嬉しいのです。どんな子供時代でもいいと思います。たまには仲間はずれをしたり嘘をつくこともあるでしょう。どうかのびのびと、歓びに満ちた毎日を。


「住所とギョウザ」    岩田 宏

大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなで叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!

            ― 『岩田宏詩集』
[PR]
 アルコール依存症。元来アルコールが1滴も飲めない私にとって未知の病。だけど、”いつかは普通に飲めるようになるんじゃないか”という希望も持っていて、でもやっぱり飲めないという現実があって、その穴を埋めるなにかを探しているところはまったく同じだった。ただ、アルコール依存症の人にとっては、何よりも最優先してきたのが(意思とは関係なく)アルコールなわけだから、それを絶つ苦しみは私にはわからない。

 アルコール依存症を治す薬はない。もし開発すれば必ずやノーベル賞がもらえると言われているほど。そのため、アルコール依存症の人々は「飲まないでいること」を1日でも長引かせるために、自助グループに通う。日本ではおもに「断酒会」と「アルコホリック・アノニマス」という2つの自助グループがあって、驚くべきことにそれらはどこかで必ず毎日開かれてる。年間で1日も自助グループが開催されない日はない。多くの人が熱を出しても、仕事を早退しても「飲まないでいるため」に自助グループに通い続けている。

 何か特別なことをするわけではない。敢えていえば、聖書のようなパンフレットがあってそれを始まりと最後に声に出して読むくらいで、その他は自分自身の話をし、他の人の話に耳を傾けるのみ。他の人の話に対して、質問や感想は言わない。深刻な話をしている人がいても、それに対して直接アドバイスをしたりはしない。

 そのせいか、そこで話される言葉は聞いたことのないような類のものだった。自分自身に対して忠実であろうとした結果生まれた言語なのか、辻褄をむりに合わせようとせず、しかし洗練された言葉が次々と発せられていたように思う。

 なかでもそこで時々生まれるユーモアは絶妙だった。あまりに酷な話題を和ませるための、他のメンバーを励ますための、自分自身を笑い飛ばすための優しいユーモア。

 これほど力強い空間が、東京だけでも1000近く存在しているのだと思うと、そうやすやすと哀れな気持ちになれないのだ。
[PR]