カテゴリ:▼夕焼けお散歩倶楽部( 15 )

 小樽・積丹にいってきました。旭川から50キロくらい左よりに南下したところです。この前仕事で斜里に行ったときは(こっちは一番北)100キロはあったのでそれよりは近かったのかな。それでも車で4時間くらいかかったな。
 斜里にいったときはただただ広大な土地に圧倒され、北海道という身体に潜り込んだような安心感を覚えたのだったけど。小樽は、斜里とも旭川とも全然違う。気候も文化も、知らないけれど習慣も違うのではなかろうか。レンガづくりの倉庫が並ぶ港町で、ところどころに坂があり、道がうねうねと曲がっている。活気がある。もちろん横浜や長崎にとても似ていて、またどこか上野みたいでもあった。
 私を車に乗せていってくれたのは二人とも横浜育ちの浜っ子であったので、横浜の話を聞きながら、また横浜の記憶を辿りながら歩くのが面白かった。歩いていると、ちょくちょく、同年代の男の子が軒先で働いている。ここにはどういう音楽があるのだろう。そのうち出会うだろうオタルクルーにこんにちは。そしておやすみなさい。a0028444_145880.jpg

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 家を探すよりも先に自転車を買った。家がなければ止めるところがないだろうと、店で預かってくれることになった。いつでも好きな時に乗りにきたらいい、と。四角いマンホールが雪用であることを教えてくれたのはこの店主だった。背が低くて頬が赤く、チャルメルおじさんみたいな方。

 間もなく家が決まり店を覗くこともなかったのだけど、車輪のパンクという口実ができたので近くの自転車屋には寄らずにチャルメルのおじさんのところまで訪ねてみることにした。それほど距離はないのだけど、石狩川を越えるか否かの差は大きい。閉鎖的で長い橋のせいだと思う。

 今日はタイヤの修理をしながら、護国神社の夏祭りは必ず雨が降ること、お盆を過ぎれば秋になること、冬は大きな氷柱が出来るので軒下を歩けないこと、路上に何重もの氷の層が出来ること、春になれば氷ををつるで割って四角いマンホールに居れること、を教えてもらった。最後に「来ないから心配していたんだよ」という言葉を頂いて、店を後にする。

 そういえば初めて「住めば都」という言葉を聞いたのもチャルメルおじさんの口からだった。それから今日に至るまで20回以上聞くことになるのだ。「旭川は冬は厳しいけど、住めば都だよ」、誰もが言う。その度、これほど冬の厳しさを表す言葉はないと苦笑いしていたけれど、次第にそこには他の地域と旭川を比較する第三者的な眼差しがあることに気がつく。メディアの眼差しだろうか。もしかすると内地から移住してきた人たちがよく使っていたのかもしれない。「住めば都」そう口にする人に出会うたびに、わたしにはその人が長い長い旅をしてきたように見えるのだ。


(((後記)))チャルメ「ラ」おじさん、の誤りでした。Nさんより暖かいご指摘がありました。ありがとう。
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 とはいえ視界の向こうまで十分に光を溜め込んだ路上や、昼間の熱気を一瞬のうちに吸い上げる雨、夜中のコンビニに光を求めて張り付く白い虫の群れには傾注せずにはいられないし、空中を流れる時間はまだ自然の元にあって、人間にはどうしようもできないという諦めと歓喜が含まれているのを容易に見つけることができる。
 移動と定住が響き合う。立ち止まる覚悟を持つことで、移動が鮮やかに立ち現れた。家があることへの後ろめたさは、家があることの苦労に変わっていくだろう。だからこそおおらかに、日々の変化に身体を曝していくのみだ。
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日常が跳ねた。950メートルほど北に。私はもう東京におりません。北海道に暮らしています。戸惑うよりも先に、家が決まり、水道が通り、電気が点き、ガスが開き、布団が届き、家電が運び込まれ、もう既にどうしたってこれは日常なのだ。

だからこそ旅は散らばる。本当は旭川に着いたとき、がっかりしたのだ。どこまでも延びる碁盤の目は、迷いようのないほど広くて均一だった。路地がない。グラフィティーもなければダンボールハウスも見当たらない。駅前には大型店舗が立ち並び、商店街は消え去った後であった。歩いていると何度も迷彩服を着た人とすれ違う。旭川にはいくつもの自衛隊の練習場がある。後で知人から「旭川の道路は滑走路としても使用できるよう設計されている」と聞いた。街中にそびえる大きな神社も異様に感じる。そこにはアジールと呼べるような包容力がないように思えた。この中からふと横道に逸れる穴を見つけるのは東京も旭川も同じ。

旅はコンクリートの下にある。妙だが、そんな気がしている。旭川にはマンホールが多い。四角い蓋のマンホールは、除雪用のものだそうだ。放り込まれた雪は石狩川に流れていく。この街が隠しているもの。見てみぬふりをしているもの。そういうものが、もしかするとあるのかもしれない。
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 私が初めてアノ人を見かけたのは、確か小学校の高学年のころだったと思う。
 そのころ私は、街で面白い人やちょっと変った人たちを見かけるとすぐに、渾名をつけてしまう癖があった。オレンジおじさん、ショイナー、ボディーミドリ、、、街はさまざまな渾名を持った人々で溢れていった。アノ人が放つ存在の過剰さを考えてみれば、彼らの仲間に加わってもおかしくはないはずなのに、何故かしら私はアノ人に特別な渾名をつけた記憶がない。うまく当てはまる渾名が思いつかなかったのだろうか。今考えると少し不思議な気がする。しかし渾名がない代わりに、アノ人は、私のなかでアノ人として記憶されるようになった。

 中野の街が夕暮れどきを迎えるころ、決まってアノ人は南口駅前に現れる。
 先の尖った茶色のブーツ、長身痩躯の体型に合ったタイトなスーツ、髭と繋がる立派な揉みあげ、そして長髪オールバックのヘアスタイル。しかも、ワックスのテカテカする加減が容赦ない。誰に似ているのかと問われれば、返答に困ってしまうけれど、強いて挙げるとすればルパン三世。顔はむしろ銭形刑事か。
 アノ人はいわゆる客引きである。仕事帰りのサラリーマンたちに根気よく誘いの声をかけている。どうやら駅前のキャバクラに勤めているらしい。ただし、それ以外のことは何も知らない。一度だけ自転車(ハーレー型)に乗ったアノ人を見かけたことがある。黒いドクロ模様のカットソーに、黒いパンツというファッションで、腰まである髪の毛をなびかせ、目の前を軽快に走り抜けていった。そうか、あの長髪は、ロック好きのそれであったのか。
 アノ人の存在は強烈である。しかし、私がいつもアノ人のことを意識しているのかといえば、どうやらそうでもないようだ。というよりも、今ではその存在が当り前になりすぎてしまい、大抵の場合は意識に上ってくることがない。私はアノ人のことを、人格をもった人間としてよりも、むしろ「郵便ポスト」や「看板」に近いものとして認識しているところがある。だからこそ逆に、アノ人がいない日の駅前は、何だか間の抜けた感じがしてしまう。
 
 いつのころからか私は、アノ人を「風景」として見ていたのかもしれない。そう気付いたのはつい最近のことである。別の言い方をすれば、アノ人を通して南口駅前という風景が、私のなかで立体的に立ち上がってくる。私にとっての南口駅前の風景とは、「アノ人のいる」南口駅前の風景なのである。そして、私はその風景が好きだ。
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