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 八百屋さんや肉屋さんで買い物をしていて嬉しいのはどれも北海道産であること。お米も味噌もパンの小麦粉も昆布も鰹も産地を見れば北海道内の地名が書かれている。
 しかしふと小腹が空いてかけこんだ夜のコンビニ、産地を見れば北海道のものなどひとつもなく。「新宿区百人町で作られてるんだー。おお、中野だってさ。これは大阪か〜。アメリカってどこらへんだろう」などと楽しみつつも、変な気分。たとえば目の前に野菜たちが踊り狂う畑があっても、ぎんいろの魚たちで海面が埋まる海があっても、私たちには無関係。そういう摩訶不思議な状況もまた、グローバリゼーションのせいなんだろう。
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 家を探すよりも先に自転車を買った。家がなければ止めるところがないだろうと、店で預かってくれることになった。いつでも好きな時に乗りにきたらいい、と。四角いマンホールが雪用であることを教えてくれたのはこの店主だった。背が低くて頬が赤く、チャルメルおじさんみたいな方。

 間もなく家が決まり店を覗くこともなかったのだけど、車輪のパンクという口実ができたので近くの自転車屋には寄らずにチャルメルのおじさんのところまで訪ねてみることにした。それほど距離はないのだけど、石狩川を越えるか否かの差は大きい。閉鎖的で長い橋のせいだと思う。

 今日はタイヤの修理をしながら、護国神社の夏祭りは必ず雨が降ること、お盆を過ぎれば秋になること、冬は大きな氷柱が出来るので軒下を歩けないこと、路上に何重もの氷の層が出来ること、春になれば氷ををつるで割って四角いマンホールに居れること、を教えてもらった。最後に「来ないから心配していたんだよ」という言葉を頂いて、店を後にする。

 そういえば初めて「住めば都」という言葉を聞いたのもチャルメルおじさんの口からだった。それから今日に至るまで20回以上聞くことになるのだ。「旭川は冬は厳しいけど、住めば都だよ」、誰もが言う。その度、これほど冬の厳しさを表す言葉はないと苦笑いしていたけれど、次第にそこには他の地域と旭川を比較する第三者的な眼差しがあることに気がつく。メディアの眼差しだろうか。もしかすると内地から移住してきた人たちがよく使っていたのかもしれない。「住めば都」そう口にする人に出会うたびに、わたしにはその人が長い長い旅をしてきたように見えるのだ。


(((後記)))チャルメ「ラ」おじさん、の誤りでした。Nさんより暖かいご指摘がありました。ありがとう。
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 とはいえ視界の向こうまで十分に光を溜め込んだ路上や、昼間の熱気を一瞬のうちに吸い上げる雨、夜中のコンビニに光を求めて張り付く白い虫の群れには傾注せずにはいられないし、空中を流れる時間はまだ自然の元にあって、人間にはどうしようもできないという諦めと歓喜が含まれているのを容易に見つけることができる。
 移動と定住が響き合う。立ち止まる覚悟を持つことで、移動が鮮やかに立ち現れた。家があることへの後ろめたさは、家があることの苦労に変わっていくだろう。だからこそおおらかに、日々の変化に身体を曝していくのみだ。
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日常が跳ねた。950メートルほど北に。私はもう東京におりません。北海道に暮らしています。戸惑うよりも先に、家が決まり、水道が通り、電気が点き、ガスが開き、布団が届き、家電が運び込まれ、もう既にどうしたってこれは日常なのだ。

だからこそ旅は散らばる。本当は旭川に着いたとき、がっかりしたのだ。どこまでも延びる碁盤の目は、迷いようのないほど広くて均一だった。路地がない。グラフィティーもなければダンボールハウスも見当たらない。駅前には大型店舗が立ち並び、商店街は消え去った後であった。歩いていると何度も迷彩服を着た人とすれ違う。旭川にはいくつもの自衛隊の練習場がある。後で知人から「旭川の道路は滑走路としても使用できるよう設計されている」と聞いた。街中にそびえる大きな神社も異様に感じる。そこにはアジールと呼べるような包容力がないように思えた。この中からふと横道に逸れる穴を見つけるのは東京も旭川も同じ。

旅はコンクリートの下にある。妙だが、そんな気がしている。旭川にはマンホールが多い。四角い蓋のマンホールは、除雪用のものだそうだ。放り込まれた雪は石狩川に流れていく。この街が隠しているもの。見てみぬふりをしているもの。そういうものが、もしかするとあるのかもしれない。
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