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初雪はすぐに雨に変わりそれからみぞれになった。だれもがいう「ねゆきまでが嫌なのよねー」“寝雪”だと思っていたが、調べてみると“根雪”だった。ふーんそんな言葉があるのね。

今日は、ちょっと街の方に出たので「酒まんじゅうを買って帰ろうか!」と職場の人とお酒屋さんへ。たくさんの甘酒がカップについで置いてあったので「飲もう飲もう!」と頂くと、店員さんが焦って、「それ違うんです〜」。ちょうしに乗って2はいも飲んでしまったあとで、恥ずかしい。そして私はお酒がのめないので、案の定職場に帰ってデスクで爆睡。起きるとほっぺが真っ赤だったらしくみんなに笑われ「あんた、もう帰んなさい!」結局なんだか色々話しているうちに八時を回ってしまったのだけど、ほくほくしながら帰ってきました。自転車生活もあとどれくらいかな。

雪囲いをした木々はかわいい。蓑虫みたいだ。さあ、笑い飛ばしにいこうじぇい。
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荒涼とした景色とはこういうものを言うのか 海沿いがずっと灰色 
手に持った地図は見えない水分でぐったりとしていく 霧
かと思えば、乱れるように咲く花 
市役所の地下には もうずっと昔に社員食堂であることを放棄したような喫茶店と食堂
赤いビロードのソファにチョッキを来たマスターと常連たちが
スーツの男たちとはおよそ無縁の時間をつむいでいる
電信柱にはタギング 誰か、いる
真夜中になればシャッター通りも関係なく懐かしい景色になることを発見
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さあうちへ帰ろうと、外へ出たら 何もなかった。
ただ光だけが、動き回っている ぼやけた世界。
公園の向こうが夕焼けのように燃えている。
ガソリンスタンドの灯りだった。
無敵だと思っていたコンビニは色すらも失い
こんなことなら早く自転車のライトを修理しておくんだったと思った。
自分が景色に溶けていくことの恐ろしさ!
善光寺のお階段巡り以来に味わう心地良さ。
こうなると目も足ももう他人のものだ。
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ウィルタの神像が素敵で、ウィルタ族が住んでるサハリンに行きたくなり、調べていたら稚内からフェリーで5時間、千歳から飛行機で一時間半で行けることがわかり、その航空会社が株式会社ノマドという名前でなんだか笑ってしまい、あれ、サハリンって北方領土だっけ?と思い、ついでに「アジアの純真」の歌詞に出て来たよね?と思うがどちらも勘違いで、サハリンにはウィルタだけじゃなくてアイヌやニヴフの人たちもたくさん住んでいたことを知り、ウィルタ語とアイヌ語とニヴフ語って似てるのかな?などと思うが共通性はあまりなくむしろ日本語とウィルタ語が似ていることがわかり、写真を見たらサハリンは本当にロシアっぽくて、稚内もずいぶんロシアっぽくて、ロシアと言えばシベリア鉄道だ、サハリンにも列車はあるのだろうか椅子の柄はどんなだろうかと気になりだし、多和田葉子の『容疑者の夜行列車』の舞台はアメリカなのになぜかロシアっぽい記憶になってるな、あ、なんでもいいから今彼女のテクストを読みたいと探し出し、サハリンが舞台になってる小説ってあるのかなと思えばチェーホフの『サハリン島』てのがすぐに出て来て、サハリンにはチェーホフ山まであることがわかった。そう、結局チェーホフ山があることしかよくわからなかった。それも名前だけでどこにあるどんな山かなんて少しもわからないんだから困ったもんだ。仕事は、まるで、そっちのけ。そうだ、図書館へ行こう。

ウィルタの神像
ウィルタ協会
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 行進のように更新中。どうしちゃったのでしょう。

 もうだいぶん前の話になりますが、アイヌ祭りに行ってきました。旭川にはただ1つ、アイヌ資料館があります。川村カネトアイヌ記念館といって、近文というところ(正しくは北門町)にあります。アイヌ語では「ちかっぷに」と発音するこの地域は、開拓が始まったのちアイヌ人給与地とされていた場所です。しかし給与地とされたあと、明治政府に土地の返上を求められたり、何代にも渡り闘争が続いてきた場所でもあります。(今後詳しく取り上げる予定だが、『旭川・アイヌ民族の近代史』<金倉義彗著/高文研/2006>に詳しい。)川村カネトは近文アイヌの村長の名前です。

 川村カネトのことは、知り合いの95歳のおばあちゃんがよく話してくれた。「旭川のアイヌは変わっててね、村長が2人居たのよ。川村カネトと川上コヌサ。その2人が戦って川村が戦ったわけ。結局は川村が勝ったけど、どっちが本当の村長かは今もわからん。どっちもすばらしい人だったよ。川村はうちの近くに住んでてね、家にいくと、熊の毛皮の上に座っとった。ああ、村長だなあと思ったね。」

 一年に一回開かれるというアイヌ祭り、どんなお祭りだろうと思ったら、家族パーティーの延長のような、アットホームなお祭りだった。みんなお知り合いのようで少々肩身が狭かったけれど、居心地はいい。AINU DUB BANDと活動しているという女の子4人組のMarewrewのライブがあったり、ヨガ教室があったり、すごく今っぽい!だけど、私のようにふらりと来ている新参者は見当たらず、「北海道ーアイヌー若者」が頭の中でうまく繋がらなくなってしまった。

 アイヌの存在は東京に住んでいる私にとってもごく自然なことだった。駅前では年に一度チャランケ祭りというアイヌー沖縄の踊りを踊るお祭りがあったし、駅から少し離れた新井薬師にはアイヌ料理屋さんがあった。神秘的なわけでもなく、悲壮感を感じさせるわけでもなく、ただ一つの文化として身近にあった。チャランケには毎年行っているわけではないが、今年はたまたま遭遇した。国家試験の直前だったか、何か思い詰めているときだった。
 風景がよみがえる。酔っぱらいのおじいさんが女の子を追い掛けるという設定の踊りをしていて、大笑いしたのだった。一番前で見ていた金髪のお兄さんが、裸足で踊っているのを心配そうに見ていて、踊りの合間に石をよけていて感動した。小さな子供が何度も混ざってしまって、でもうまく踊りと妙に合っていた。みんながあたたかく笑っていた。最後に、みんなで輪になって踊って、なんだか胸がいっぱいになり涙をこらえながら帰ってきたのを覚えている。その様子をすぐに身近な人に話したがあまり反応がなくてがっかりしたこともついでに思い出した。

 今回もそうして輪になって踊って来た。少し恥ずかしがりながら。旭川で、北海道でアイヌが思った以上に身近ではないの(ほんとうに驚くほど街とアイヌ文化との距離は遠い)は、もちろん複雑な歴史があるからなんだろう。けれどそれ以上に同じ世代の人はただ知らないだけな気がする。
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明日は宮下公園で手作りサウンドデモがあるそうです。ホー娘。のみんなは参加するのかしら?
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「手づくりサウンドデモをやろう! Just Keep it MIYASHITA!」
[日時] 2008年10月13日(休)15:00集会/16:00デモ出発/17:00デモ到着
[場所] 宮下公園(中央階段上)にて集会 *雨天決行
[コース] 東京都渋谷区 宮下公園→神宮前→五輪橋→岸記念体育館前→
渋谷区役所前→ハチ公前→宮益坂下→宮下公園
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偶然にも「読売新聞」上で、KOMPOSITIONを追い抜いて金賞をいただいたホー娘。ですが、(リンクホー娘。が映ってしまってるのが可笑しくて仕方ない)事態は進行中。
今度はナイキパークになろうとしているというのだからさあ大変。
人気だなあ 宮下公園....。
しかしなんというか、ぜったいナイキ公園にはなれないような磁場があると思うのは私だけだろうか。
ナイキ公園などになってしまったら、ぜったいおそろしい事が起こる!
それを阻止するためにも、なんとしてでもナイキ計画をやめさせねば!!!!


みんなの宮下公園をナイキから守る会

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 さて、FLATRIPはパブリックスペースを軸としています。それは誰もが出入り自由な空間ということだけではなくて、異質な人たちが集まって何かすることなども意味します。私が公共空間について考えたきっかけは、図書館でした。なぜ図書館にはいろんな人がいるのか。なぜ共存出来るのか。その結果、行政の管理している「公共空間」(図書館や文化センターなど)は、なんか管理が適当で、隙間だらけで、その結果、変な人がいても排除されない空間となっているらしいことがわかった。つまり、普段は矛盾してしまうことの多い「ー開かれたーという意味合いの強い公共」と「ー国家のーという意味の公共」が偶然にも一致していたのです。それから私は都市の中にある、風穴的な「公共空間」というものを探すようになったのだったが....

 辞令が発令されて北海道にきてしまった。ので、すっかり調子が狂っている。確かに、旭川は都市だ。北海道では札幌の次におおきな都市で、東北でも仙台を挟んで3番目に大きな都市なのだそうだ。ただし、完全なる郊外都市なのです。商店街などというものはほとんど存在しない。駅からずいぶん離れたところにぽつぽつ巨大商業施設があり、みなそこで買い物している。なので休日でも駅前にはそれほど人は居ない。行ったことがないのでわからないけれど、日曜日のイオンは人で溢れ、とんでもないことになっているらしい。移動手段はもちろん車。

 まあ、中野で育った私としては、その街を好きになれるかどうかはあまり重要ではないと思っている。中野だって、中野で育っていなければそんなに好きでもなかったはず。何処だって必ず、面白い場所はあるし、驚きの景色は訪れる。要は歩き方、なのだろう。

 さて今日は勇気を出してお洒落な喫茶店に入ってみた。薄暗い店内で、こんなチラシをもらった。やったね、動けば収穫はある。

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ASAHIKAWA Polyphony on the Earth,2008
“Forest Ambience Sense”

旭川ポリフォニー,2008 「森 空気 感性」

◎企画・構成:矢萩 喜從郎([旭川ポリフォニー,2008]総合ディレクター)

◎パネリスト(50音順)
・Dr.ガード・ロスカント(ドイツ・ライン渓谷森林管理局長)
・柴田 元幸(東京大学大学院教授、アメリカ文学者、翻訳家、小説家)
・鈴木 恂(建築家、早稲田大学名誉教授)  
・塚原 史(早稲田大学教授、現代思想・ダダ研究家)
・野家 啓一(東北大学教授、理事、哲学者)
・マルコ・ミュラー(ベネツィア国際映画祭ディレクター)
・水沢 勉(横浜トリエンナーレ2008総合ディレクター、神奈川県立近代美術館キュレーター)
・ロジャー・パルバース(東京工業大学世界文明センター長、教授、作家、劇作家、演出家)
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 「発語する身体」や「森とダダとポストモダン」「翻訳者はどこまで人間か」など何やら楽しそうかつ怪しげなパネルが多く、まあほんとうに怪しいまま終わってしまう可能性もあるが出かけてみようと思う。「森 空気 感性」と言われてもなかなかピンとこないのだけど旭川をー身体を通して考えるーツボが落ちてるかも知らん。


■旭川ポリフォニー
http://www.asahikawa-polyphony.com/contents.html

p.s.
塚本史さんって誰だろうと思ったら、『人間はなぜ非人間的になれるのか』(岩波書店/2000年)の著者でした。大学入学時の課題図書の1つかもしくはプロゼミで扱われた本です。一生懸命線を引きながら読んだのが懐かしい。たいして成長してないけどね。笑
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 何かを始める動機としていちばんエネルギーがあり持続力があるものは「違和感」だ。しびれるような違和感だったり、腹が煮えくり返りそうな違和感だったり。兎にも角にもそれが何だかわからないものだから、動きだす/考えだすしかなくなる。ほぼ「怒り」に近いその違和感を持て余し思考するとき、私の眉間にはきっとずいぶんな皺ができていることだろう。でも、もしかしたらそれは至福の時間なのかもしれない、、。

 さいきん覚えた違和感は職場でのことだった。旭川にきて初めて、高齢者の通ってくる「デイサービス」で研修を行なった日、帰り際に誓約書を手渡された。それは、ここで見聞きしたことは一切口外しませんという「個人情報の保護」に関するものだった。一瞬、怯んだ。「え?ここで見聞きしたことを誰にも話せないなんて、まったくここで研修をする意味がねえじゃねえか。」ここで出会った人たち名前と顔、それから声、仕草、その人たちの会話を、他の人に伝えずにいられるだろうか。その人たちの存在を私は必ず伝えたくなってしまうにち違いない。むしろ伝えなくていいのか? だんだんと腹がたってくる。しかし、どう考えても「正しいこと」なので、思い直しすぐにサインをした。

 それから服装についての注意を受けた。身体のラインがでないもの。襟が小さく、胸がみえてしまわないもの。透けないもの。しゃがんだ時にパンツが見えないようなズボンを着てきて欲しいということだった。これも実習や何かで施設に入る度に必ず言われてきた「正しいこと」。しかし、言われるたびに、ほんの小さく傷つくのを感じてきた。何か、自分の身体が悪いもののように思えてくるのだ。利用者さんに対して「失礼」になり得る自分の身体。越してきて心細かったせいか、今回は堪えた。もしそこに「あなたの身を守るためでもあるのよ」というニュアンスがあれば違うのかな。いや、違う、何かが、違う。そう、まさにこれ、IWAKAN....

 今月から『ブリコラージュ』という雑誌を購読し始めた。きっかけは今年の春に岩波書店から出た『ケアという思想』で、ブリコラージュ編集長であり理学療法士の三好春樹さんが「ケアはブリコラージュ」というエッセイを書いていて、それがとても良かったから。
 ちょうどそれを読んだときは、初めて介護の現場に関わっていたときで、何もかもが刺激的だった。森川さんというヘルパーさんに出会ったせいで、私の介護に対する苦手意識はぐらぐらと揺らぎ、なんて工夫に満ちたおもしろい仕事なんだろうと興奮していた。
 「ケアはブリコラージュ」もまさに25歳で初めて介護現場に出会い、目紛しい日々の中で思考していく話だった。そんなときにレヴィストロースを読み始め、そこで「ブリコラージュ」(手作り、器用仕事などと訳される)という言葉を見つける。レヴィストロースは、「ブリコラージュは現代社会では工業の中にしか残っていない」と言っていたが、まさに介護の仕事こそがブリコラージュじゃんと思ったのが、その後の三好さんの核となる。

 その『ブリコラージュ』も、20周年らしい。読者になったばかりの私には突然だったが、5000人の定期購読者が居るというからすごい。そう、私はそこでちょうど、違和感の1つであった「個人情報保護」に関する三好さんのエッセイを見つけたのだ。
「プライバシーという差別」という名のついたエッセイ。引用しよう。

 「老化や障害によって要介護状態になったことや、施設で生活しているということは、隠さねばない恥ずかしいことなのだろうか。もちろんそう思っている本人や家族もいるだろう。でも、それは老人ケアに関わるものに撮っては「そんなことありませんよ」と説得すべきことではないだろうか。
 さあ、要介護老人たちに名乗ってもらおう。もちろん私たちによる「ケース報告」ではなく自らの自己表現として。私たちはその媒介になるべきなのだ」

 三好さんは、プライバシーの権利が利用者を「公的なところで名乗る資格を奪われた存在」にしてしまっているのではないかと指摘する。私の違和感もまさにそこに通じるものであった。

 衣服に関する違和感も、もしかしたら、何か違う見方があるのかもしれない。怠け者には少々面倒だが、アンテナを張り巡らせ思考していきたい。
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 小樽・積丹にいってきました。旭川から50キロくらい左よりに南下したところです。この前仕事で斜里に行ったときは(こっちは一番北)100キロはあったのでそれよりは近かったのかな。それでも車で4時間くらいかかったな。
 斜里にいったときはただただ広大な土地に圧倒され、北海道という身体に潜り込んだような安心感を覚えたのだったけど。小樽は、斜里とも旭川とも全然違う。気候も文化も、知らないけれど習慣も違うのではなかろうか。レンガづくりの倉庫が並ぶ港町で、ところどころに坂があり、道がうねうねと曲がっている。活気がある。もちろん横浜や長崎にとても似ていて、またどこか上野みたいでもあった。
 私を車に乗せていってくれたのは二人とも横浜育ちの浜っ子であったので、横浜の話を聞きながら、また横浜の記憶を辿りながら歩くのが面白かった。歩いていると、ちょくちょく、同年代の男の子が軒先で働いている。ここにはどういう音楽があるのだろう。そのうち出会うだろうオタルクルーにこんにちは。そしておやすみなさい。a0028444_145880.jpg

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何の科目でも良い。重要なのは参考書の紙質です。つるつるした真っ白い紙ではなく、わら半紙のようなものがよい。引いた線や書き込んだ文字が染み込んでいく過程が楽しいのだ。ぼろぼろになった本はかわいい。
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