私が初めてアノ人を見かけたのは、確か小学校の高学年のころだったと思う。
 そのころ私は、街で面白い人やちょっと変った人たちを見かけるとすぐに、渾名をつけてしまう癖があった。オレンジおじさん、ショイナー、ボディーミドリ、、、街はさまざまな渾名を持った人々で溢れていった。アノ人が放つ存在の過剰さを考えてみれば、彼らの仲間に加わってもおかしくはないはずなのに、何故かしら私はアノ人に特別な渾名をつけた記憶がない。うまく当てはまる渾名が思いつかなかったのだろうか。今考えると少し不思議な気がする。しかし渾名がない代わりに、アノ人は、私のなかでアノ人として記憶されるようになった。

 中野の街が夕暮れどきを迎えるころ、決まってアノ人は南口駅前に現れる。
 先の尖った茶色のブーツ、長身痩躯の体型に合ったタイトなスーツ、髭と繋がる立派な揉みあげ、そして長髪オールバックのヘアスタイル。しかも、ワックスのテカテカする加減が容赦ない。誰に似ているのかと問われれば、返答に困ってしまうけれど、強いて挙げるとすればルパン三世。顔はむしろ銭形刑事か。
 アノ人はいわゆる客引きである。仕事帰りのサラリーマンたちに根気よく誘いの声をかけている。どうやら駅前のキャバクラに勤めているらしい。ただし、それ以外のことは何も知らない。一度だけ自転車(ハーレー型)に乗ったアノ人を見かけたことがある。黒いドクロ模様のカットソーに、黒いパンツというファッションで、腰まである髪の毛をなびかせ、目の前を軽快に走り抜けていった。そうか、あの長髪は、ロック好きのそれであったのか。
 アノ人の存在は強烈である。しかし、私がいつもアノ人のことを意識しているのかといえば、どうやらそうでもないようだ。というよりも、今ではその存在が当り前になりすぎてしまい、大抵の場合は意識に上ってくることがない。私はアノ人のことを、人格をもった人間としてよりも、むしろ「郵便ポスト」や「看板」に近いものとして認識しているところがある。だからこそ逆に、アノ人がいない日の駅前は、何だか間の抜けた感じがしてしまう。
 
 いつのころからか私は、アノ人を「風景」として見ていたのかもしれない。そう気付いたのはつい最近のことである。別の言い方をすれば、アノ人を通して南口駅前という風景が、私のなかで立体的に立ち上がってくる。私にとっての南口駅前の風景とは、「アノ人のいる」南口駅前の風景なのである。そして、私はその風景が好きだ。
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明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。

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 初詣は善光寺(※1)へ。意を決して、お戒壇巡りも。お戒壇巡りとは、「瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かるご本尊とつながれた極楽の錠前に触れ、秘仏のご本尊と結縁を果たし、往生の際、お迎えに来ていただけるという約束をいただく道場」(善光寺HPより)のこと。
 究極の真っ暗闇の中、頼りになるのは触覚のみ。手で壁を触りながらではないと、とても前に進むことはできない。それはまるで深い水の中を歩いているような感覚。酸素は十分足りているはずなのに息苦しく、足は地についているのに宙を浮いているかのよう。目を開けているのか、閉じているのかさえわからない。このまま暗闇の一部になってしまったらどうしようという恐怖にせかされ、どうにか光の粒まで這い上がることができた。5分足らずの小旅行。

※1・・・善光寺HP
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 ひょんなことから原宿は表参道にて清掃のアルバイトをやるようになって、かれこれもう一年になる。揃いのつなぎを着用し、ホウキにトングを携えて、今日も路上のゴミを拾い歩く。表参道という土地柄もあり、若者たちへの「ケイモウ」という役割も与えられた私たちは、お昼時の一番賑やかな時間に作業をする。

 ゴミに触れることにそれほど抵抗を感じない私にとって、街を歩きながら友人たちと近況報告をしつつこなす作業は苦ではない。生ゴミに向かって整列する蟻や、空き缶に群がる蜂を見ていると、臭いの酷いゴミでさえ魅力的に感じることがある。
 ただ、いつになっても憂鬱な作業が一つだけある。それはカート係と呼ばれている。要はカートを押して歩くだけの作業なのだが、カートには大きなゴミ箱が1つと水の入ったタンクが二つ、それから殺虫剤やゴミ袋といった作業中に使う雑貨が積んであって、それはそれは重いのである。作業の担当はジャンケンで決めるのだが、ああ今日は体がダルいなあという日に限って負けてしまう。


 先日もそうやってしぶしぶカートを押している日であった。ただでさえ重いカートが、不法投棄された空き缶や、プラスティックケース、漫画本や壊れた傘などが載せられてさらに重みを増して行く。表参道の交差点から明治神宮へと抜ける緩やかな坂は、その時ばかりは苦行の場へと変わる。戦後、「参道」の意味合いは大きく変わってしまったけれど(※1)、参道を登りきることを、ただただ「神」に祈る私の信仰心はどうだろう。なんて冗談を言う余裕もないのだが。

 登りきった先にある「三角公園」が掃除の最終地点である。公園に到着した時には、カートにぶら下げていたビニール袋から空き缶がこぼれ落ちんばかりとなっていた。こんなに缶が落ちている日も珍しい。そんなことを思っていると、目の前に見覚えのある男性が立っていた。

 彼は先週灰皿を自主的に掃除しておいてくれた男性であった。三角公園の小さな灰皿はいつも水が足りなくなり、煙が上がってしまう。おそらくそれを見兼ねて、中身を処理してくれたのだろう。「先週はありがとうございました」と言うと少し照れくさそうに「はい。どうもありがとう」と、少しカタコトの日本語で答えてくれた。彼の一つにまとめたドレッド・ヘアとエスニックテイストのネックレスをした風貌には、どこか親しみやすさがあったが同時に警戒からくるのだろう鋭さがあって、それ以上会話を押し進めることはできなかった。

 彼はいつもそうしているかのように石段に座ってゼリーを食べ始めた。ときどき吸う煙草はどれも短く、どうやらシケモクらしい。彼の脇には大量の荷物が置かれている。大きなビニールバック、段ボール、毛布、よくみるとそれらはどれも生活用品であった。

 それを見て、私は焦った。先週その場所にあった段ボールをまとめて捨てたことを思い出したのである。放置された数枚の段ボールを見つけた私は、他のメンバーを呼び手分けして片付けたのだった。ガムテープをひっぺがし、足で踏み潰して小さく畳み、それでも大きいものについては、破って一つにまとめる。その作業をくり返し、わずか五分足らずで段ボールは脇に抱えられるほどの小さな紙の束となった。それらの出来事とともに、私たちがそれを捨てている間、向かい側にある石段で今日のようにリラックスしながら新聞に目を通していた彼の姿も鮮やかに蘇った。彼は、自分の寝床が破壊されていくのを、新聞の隙間から見ていたのだろうか。それとも新聞に夢中で気がつかなかったのか。

 しかしそれよりも、思い出してぞっとしたのは私の意気揚々とした手さばきであった。それから段ボールを破り、折り曲げ、足で踏んづけている時の自分の息づかい。確かにあのとき私は一種の高揚感に浸っていた。

 もともと無断で公園に放置してあったものだし、まさかこれが目の前にある男性の持ち物であるとは思いもしなかったので、それを捨ててしまったことに罪悪感は抱かなかった。それに少し大げさだが自分はこのアルバイトで生計を立てている身であり、生きていくためには避けられないことだったと言うこともできる。ただ、段ボールを捨てたときの自分に湧き上がっていた快楽は、これらの条件とは無縁のものなのであった。
 

 このアルバイトを始めたばかりのころ、道端で知らないおじさんに「ゴミ拾いってのはさ、良いことでも悪いことでもない。そのことだけは覚えていて欲しい。」と諭されたことがあった。彼には見えたのだろう。私のなかにある正義感が満たされているのが。


※ 1...元来、明治神宮へ向かうための参道であった「表参道」だが、明治通りから青山
通りにかけての地域がショッピング街としての機能を持つようになってから、人
の流れは明治神宮から青山方面へと変わっていった。なかでも表参道ヒルズの出
現は、その流れを決定付けるものとなった。
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 少し前の話になるが、朝日新聞の夕刊(2006/10/19)に世田谷パブリックシアターが主宰する「演劇体感ワークショップ」(※1)の記事が載っていた。何を隠そうこの私、この夏休みに本ワークショップの特別篇に参加させてもらっていた(詳しくは過去の記事より:2006/08/02)。紙面を通して、知った顔の人たちと再会するのはなんだか可笑しく、そして懐かしい。

 記事に添えられた写真はちょうど「シェイプ&スペース」で“コイン”と“車”を作っている場面であった。「シェイプ&スペース」とは、体を使って一つの“物”や“場所”になりきるという演劇手法である。“車”ならば「タイヤが4つ」、「四角い」といった個々のイメージを交換し、体を使って形づくっていく。これがなかなか厄介なもので、どんなに綿密に打ち合わせをしていてもスムーズにいくとは限らない。いざ形作る段階になって初めて、個々のイメージの違いが次々と浮き彫りになるのである。

 「シェイプ&スペース」の写真に並んで、今回のワークショップの中で行なわれた内容がいくつか紹介されていた。フロアを自由に歩きまわって目が合った人と挨拶や握手などのスキンシップを重ねていくゲームや、与えられたテーマにまつわる思い出を紙に描きその絵を膨らませて演劇を作っていく過程などが書かれている。いずれも私は未体験の内容であった。

 その中で1つのエピソードが印象に残った。それは参加者の女性(91歳!)が亡くなったご主人との相合い傘の思い出を描き、そのシーンをみんなで演じたというもの。その記事を読んで思い出したのが、是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』(※2)である。

 この作品は死者が現世に何の未練も残さず、そのまま死後の世界へと旅立たっていけるように打ち働く人々と死者との交流がユニークに描かれている。彼ら、その職業の者たちは死者に一番大切な思い出を一つだけ選んでもらい、その思い出を極力イメージ通りに演じることで現世との最後の別れを演出する(ちなみに、その職員たちは何らかの理由で一番大切な思い出を“選べなかった”者たちで構成されている)。みんなで死者の思い出を共有し、試行錯誤を繰り返しながら再現していくシーンがよみがえる。

 「いつの間にか、あの時のときめきと、しとしとと降る雨音を思い出した」とは演じ終えた後の女性のコメントである。彼女の思い出は、どのように再現されたのだろうか。

 思い出は他人には見えない。記憶の中にある思い出をどれだけ具体的に説明しても、相手が連想するのは当人の記憶の寄せ集めである。それだけに他人と思い出を演じるという行為は、そこに思い出によく似た“新しい思い出”を作ることに他ならない。それは過去の時間との決別の儀式、一種の通過儀礼のようにさえ感じられる。

 しかし自分自身の記憶もまた時間が経つにつれ変化するし、大抵のことは忘れてしまう。思い出、それ自体が正体を持たない流動的なものなのである。ワークショップの中でお互いに思い出を語り合っているとき、そこで行なわれているのはイメージの交換であると同時に、新たな思い出の創作なのかもしれない。

 思い出に限らず、今見ている音、聞いている音、それらを可能にする空間や時間についても同じである。イメージを交換することで、自らの認識をも書き換えていく。そうした中で、ひとつの“物”に対する認識の差が思わぬ動きを誘発し、そこに新たな共通の「体験」をつくり出す。新しい時間と空間を作り出す。これが私の感じた演劇の面白さである。


 ちなみに、世田谷パブリックシアターのすべてのトイレは車椅子がスムーズに出入りできるように設計されており、また段差のある部分にはすべてスロープが施されていた。パブリックシアターのように広く老若男女の使用を目的とした「公共空間」では、主に障害者や高齢者の人々のための「バリアフリーデザイン」(※3)から、さらに誰にとっても使いやすい空間を目指す「ユニバーサルデザイン」(※4)への移行が進んでいる。


※1・・・世田谷パブリックシアター「演劇体感ワークショップ」
※2・・・『ワンダフルライフ』是枝裕和監督(配給=テレビマンユニオン=エンジンフ
    ィルム/日/1998年)
※3・・・バリアフリーデザインは1950年代後半、北米の退役傷痍軍人の社会復帰環
    境づくりから始まる。本来は障害者のための物理的な壁(バリア)を取り除く
    (フリー)デザインを指しているが、現在は物理的な壁に留まらず、制度、心
    理、情報における壁すべてを取り除くデザイン手法とされている。
※4・・・ユニバーサルデザインは1990年代初頭から北欧で本格的に展開されているデ
    デザインの概念である。すべての人(ユニバーサル)に使いやすい製品、物、
    環境、情報の創出を目指し、障害のある人を特別視しないことが前提となって
    いる。提唱者はロン・メイス(1941-1998)。ノースカロライナ州立大学に
あるユニバーサルデザイン・センターの創立者であり、自身も車いすを利用し
ていた障害者であった。
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 「ホームレス」とは誰か。「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(※1)はホームレスを「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を営んでいる者」と定めている。この法律は“home”という概念をあくまでも“建築的な家”として解釈している。
 しかし同じく“建築的な家”という意味を持つ“house”に比べ、“home”には“家庭”という意味合いが強調される。そう考えると「ホームレス」とは家庭を失った人々、つまり三度のご飯、お風呂、選挙、結婚といったあらゆるライフサイクルから切り離された存在と考えることはできないか。実際にアメリカやイギリスのように家の有無に関係なく、一定以上の生活水準に満たない者を「ホームレス」として定めている国もある。「ホームレス」という言葉は、個人や国家の貧困の捉え方によって解釈は異なる。
 
 私が「ホームレス」に惹かれる理由。それはとても無責任な思い込みから始まっている。私はいつもどこかで「ホームレス」の人々を幼少時代に読んだ物語の登場人物たちに重ねていた。そんな物語の一つに柏葉幸子の『天井うらのふしぎな友だち』(※2)がある。
 この物語の舞台は自分たちの家の天井裏である。そこに住んでいる人々がまたいちいち魅力的で、たとえば「ものをいうアホウドリ」、「クラゲのおばけ」、「鼻毛ばかり抜いているおじさん」、「風船玉みたいなおばあさん」などなど愛すべき人物ばかりである。しかも何故かアホウドリは江戸弁を話し、鼻毛のおじさんは東北なまりなのである。それから「乗り物のツボ対策保管委員会」という肩書き・・・今もって謎である。
 そうした物語の世界が幼少期特有の想像力と相俟って、私の中に日常と隣り合わせに存在する非日常的な世界(空間)への憧れと、そこに住む人々への強い関心を植え付けた。そんな想像力多感な少女にとって、最も身近な場所に存在する非日常的な空間こそ路上に並ぶダンボールハウスであった。誤解を恐れずにいえば、私にとってそこに生きる人々は天井裏の「ものをいうアホウドリ」や「クラゲのおばけ」と同じくらい魅力的な存在であった。彼/彼女らから見えるその世界をどうしても垣間みたくなってしまった。それがこのカテゴリー、「私がホームレスに惹かれる理由」の始まりである。
 
 実際に「ホームレス」の人々と関わるようになって、幼少時代に抱いていた「ホームレス」像がどれだけ幼く、ロマンチックなものであったかを痛いほど知らされた。しかしその度に「ホームレス」の人々から見えるその世界を垣間みたいという好奇心は、より強くなるのを感じている。このカテゴリーでは、そうした「ホームレス」の人々との関わりをルポルタージュの形式で記録していきたい。

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※ 1・・・「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」
公布:平成14年8月7日法律第105号 
※2・・・『天井うらのふしぎな友だち』柏葉幸子(講談社、1995年)
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  FLATRIPとは「公共空間」という体験を本やWEBといったFLAT(平面)なメディアを通してTRIP(旅)するためのツールである。
 
 「公共」という言葉は一般的に認識されている“国家”や“お上”といった意味の他に、“共通”や“解放”といった意味を持っている。「公共空間」という定義もまた“国や自治体が運営する空間”だけでなく、“誰もが出入り可能な空間”や“ある共通の身振りを持った人々が集まる空間”と、その解釈は無数に開かれている。「公共空間」とは言うなれば、いくつもの意味合いが交差し、時にぶつかり合いながら成立している空間のことである。

 矛盾した意味合いをも含み込む「公共空間」は当然そのねじれを生み出す。公園で寝泊まりする路上生活者、図書館で仮眠をとるホスト、夜中の路上でスケートボードをする若者、高架下に書き足されていくグラフィティ。国家によってつくられた公的な空間に、そうしたシステムからはむしろ逸脱しつつある人々の“生”の痕跡を発見することができる。彼/彼女らを許容するキャパシティと、そのキャパシティを変容させるような生の形態との鬩ぎあいこそが「公共空間」の現在的な問いなのではないか。

 FLATRIPは「公共空間」の現在性の議論を反映させながら、人々が集まり、散逸するための広場であることを目指す。ここで共有された議論もまた、姿を変えて公共空間にばらまかれるだろう。


カテゴリー紹介

▼ FLATRIP宣言
ブログ紹介文。すべてはここから。

▼ activism map〜もう一つの地図への招待
見慣れ(させられ)た風景を変えるための技術を紹介します。
なぁに、簡単なことです。

▼ ゴミ拾い娘の生活と意見
“ボランティア”ではなく“アルバイト”としてゴミを拾うこと。
あるいは「ゴミを拾う」という行為に交差する政治性を考えること。

▼ 私がホームレスに惹かれる理由
「ホームレス」とは誰か?
公園や図書館で出会ったホームレスの人々とのやりとり。

▼FLATRIPインタビュー
FLATRIPが今最も気になるアノ人にインタビューします。

▼フクシノシゴト
将来の夢はソーシャルワーカー!
ところで、ソーシャルワーカーって何だろう?

▼ 夕焼けおさんぽ倶楽部(中野南口青春篇)
ブロードウェイにサンプラザ、それらも良いけどそれだけじゃぁない。
まさに中野ローカルな散歩術をお教えします。

▼ 私のノマド式読書録
ノマド【仏nomede 英nomad】
①遊牧民 ②流浪の民。定住民に対して使用される語。
私は机の上でじっと本が読めないのです。

▼ブログという日常
日常はブログ的に編集される。残すべき特権的な記憶とは?
そんなことをたまに考えたり、なかったり。日々の雑記。

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