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ASKがちいさくてほんとによかった。
この街のどこかにあの人やあの人やあの人が居ると思うだけで十二分に心強くなれるせまさなのだ。
人口にして35万。なかのとちょうどおなじぐらい。終電のじかん、中野駅にいると誰かしらに出会ったものだ。これからヘビーシックに寄って帰るところだよ、という具合に。
でもここには駅のようなシンボルはないから、みんな車でぐるぐると円を描いている。
だからじっさいに鉢合わせることはおそらく滅多にない。

そんなASKでぐうぜんにも中野で体験したあの別れをもういちどすることになりそうです。「マルイ」の閉店です。かつて、中野にはマルイの本店があった。それは私が生まれるずっと前からあり、物心がついたころにはすでにさびれていたので、ファッションビルではなくもはや通路だった。駅前と裏路地をつなぐ重要な役目を担っていた。私たちにとっては。

でも旭川のマルイは中野のそれとは違っている。とても尊敬されているマルイなのだ。なぜならだれもが「マルイさん」と呼ぶ。ちょっと悪い先輩風だ。ショーウィンドウにはルイ・ヴィトン。だれに語りかけているのかわからぬ商品がただただ光っている。こちらの先輩は、近づきにくいオーラを放っていたのがいけなかったのか。7月いっぱいで閉店とのこと。

中野のマルイの話。正面口からエスカレーターを上り裏口から外へ出ると、駅前からは想像つかぬとおい昔のような裏路地が広がっていた。ぎっしりと飲み屋や喫茶店が軒と連ね、小さな神社がありその脇には井戸もある。本来なあらレンガ坂を上り、だんだんと近づいていくこともできるのだが。暴力的なまでに外界と断絶した空間を作り出し、裏路地に人を送り込む「通路」の存在は大きかった。
きょうはちかくのコンビニでとても素敵な男の子をみつけたので良い日ということにしたい!
図書館で観た映画のタイトルをすっかり忘れてしまったがまあまたいつか出会うだろう。
鼻が詰まって味はわからなかったけれど初めて鍋でご飯を炊いてみた、、、

3ヶ月が通りすぎて2階にはもうだれもいない。ただそれだけのことなのだが。
どうにも、こうにも。どうにもならないな。
→とおもったらあっさり現れたてんしたち!(じっさいはおじさんとかなんだけど)
かみさまどうもありがとう

森山大道写真展 北海道

旭川空港からバスで街に向うなかではじめてその景色を目の当たりにしたときの当惑が忘れ難い。記憶をさぐりあえてこれに似た景色はどこだろうと浮かんだ地名は「テキサス」だった。もちろんテキサスなど行ったことはなくて、グーグルアースが話題になったときにたまたまそれを使って見た景色というだけである。それほどまでにこれに似た景色を見たことがなかった。

しかしだからといってそれを写真におさめようとすると、ほんとうにしょうもないものになる不思議。以来、北海道を撮った写真はチェックするようになり掛川源一郎、田本研造、飛弾野数右衛門などの作品に出会うことになったが、まだ「テキサス」が写し込まれた作品には出会っておらず、今回の森山大道「北海道」展、もしかしてもしかするんじゃないの!という期待でいっぱいです。

ちょうどゴールデンウィーク中に積読していたエッセーを手にして彼が「北海道」を撮っていたことを知り、友人に写真集を探してもらっていたところだったのでこれまたジャストでうれし。
我らが上川地方「東川」に巡回してくるのは来年の2月、とのこと。
―オラ、雨間の部落に帰るからよ。ひとりで帰るよ。心配いらねぇ、山道は慣れてるんだ。

陽が暮れると必ずそう言って玄関にいくおばあさんが居たことを、久方ぶりの雨模様で思い出した。去年の今頃は職場の研修で毎日八王子の恩方というところに通っていて、そこで出会った女性だった。恩方は、八王子駅からそう遠くないにも関わらず、「山深い」ということばを初めて認識した場所。夕方になるとあたりいったい霧がはり、山の奥の方がぼうっと赤くなる。この今まで出会ったことのない磁場に、もしかするとと調べたらまさにきだみのるの『気違い部落周遊紀行』の「気違い部落」そのものであった。続編の「にっぽん部落」を借り、きだみのるをとりかこむ恩方の人たちのユーモアのきいた会話に耳を澄ませながら寄り道をするのが楽しみだった。

今日はここ旭川で、偶然にも93歳の女性から「部落」の話を聞いた。といっても意味の違う「部落」だったのだけど、やはりそこには優しいまなざしがあり、橋の下に住まう人たちが目に浮かぶようだった。

―この橋のたもとには養老院があってね、橋の下はすべて侍部落だったんだよ。昼はみんな乞食に出かけて夜になると帰ってくる。侍部落の会長さんは大学出だって言ってたよ。戦後?違う違う。戦争終わったらみんなどこかへ消えたよ。